同居人日和 blog

こころ踊るドラマに出会えたら幸せ!と思う、アラ還間近のプレ主婦です。

『女王の教室』第6話 和美ってば(涙目)

和美(志田未来)って、なんて子なの?もー、信じられないよ、まったく…(鼻をグズグスさせながら)。掌を返すように和美を裏切った馬場ちゃん(永井杏)や、平然と和美に罪をなすりつけ、しかもイジメを率先した(んだよね?)絵里花(梶原ひかり)、そのイジメに軽い気持ちで乗っかったクラス全員に手紙を書くなんて…ホントこれが和美にとって「すばらしい思いつき」だってのがまた泣けるよ…ああ。
ポジティブシンキングとか言うのとははまた違う…深く考えずに(深く考えたら怖くて何もできないから)ひたすら自分の信じた道を一直線に突っ走る和美。一歩間違えればちょっと痛くてウザい、まさしく人の心に土足で上がり込んでくる子なんだけど、だけどそれが和美の最大の武器だってことだ。そして和美がそんな武器を持っていると一目で見抜いた(?)阿久津先生(天海祐希)に恐れ入るわけで…アンタは凄いよ(尊敬)。
実際にこの和美の"陽"パワーによって、少しずつ人の心に変化をもたらしているもんね。もちろんそこには阿久津先生の巧妙なコントロールがあるわけだけども…。
画面の作り方も変化している。阿久津先生が出てくる時の画面、いきなり暗くなり色調が変わるあの画面の使い方にも意味が出てきている気がする。ただただ怯えていた頃の和美の前に現れる阿久津先生は、いつだってあのバックを背負っていたけれど、ここのところは和美の前に登場しても通常と同じ採光、色調だったりする。和美は闇雲に怯えたりせずに阿久津先生と対峙し、そして阿久津先生も和美と対等に話をしているんだよね。あのおどろおどろしい色調は、阿久津先生に対する子供側の心境の変化を現していたということか。
和美の怪我って、本当なら学校あげての大問題になるよね。教師の管理不手際という点でPTAだって黙っちゃいないだろうし…。夏休みだから大事にならずに済んだ…という方向なのかなぁ。
しかしそんな和美の怪我と由介(松川尚璃輝)のいつになく真面目な演説によって、ひかる(福田麻由子)や馬場ちゃんだけじゃなくクラス全員が阿久津先生に刃向かうようになった…ってのもまだまだ信用できないよ(笑)。
だって、"多数が正しい主義"の子たちだもん。今回は和美の怪我を見てちょっとビビり、ひかるや馬場ちゃんの発言によって気持ちが動かされたのかもしれないけれど、いつまた和美を裏切るかわかんないしー(相当疑っている)。
まぁ、その前段階として、絵里花が阿久津先生に脅されてましたよ…ふふふ(ふふふて)。いや、馬場ちゃんと絵里花には心底反省してもらって、和美に対してきちんと謝罪して欲しいんだよね。だって悪いことをしたわけだもの。その場の流れで味方になるんじゃなくてさ。馬場ちゃん、和美の味方発言はしたけど本人に対して謝ってはいないよね?自分が和美に対してやった行為をちゃんと反省しているのかなぁ…というか、悪いことをしたつもりはないのかなぁ(涙)。
今回は、馬場ちゃんは辛かったと思うよ。調子に乗りまくっていた馬場ちゃんは、ひかるに痛いところを見事に突かれてしまったし、味方だったはずの阿久津先生にまで「あなたにそんなこと言う資格はない」と全否定されちゃったもんね。いやー、見ていてちょっとスカッとしたワタシは大人げない?(笑)。
阿久津先生のやり方は、ひとりずつ谷底に突き落とす手法なわけだよね(自分の手を汚さないこともある)。ここまで、和美→由介→ひかる→馬場ちゃんときて、いよいよ次のターゲットは絵里花なんだねっ(わくわく)。うん、見事なくらい一気に谷底に突き落として欲しいわっ!…なんて思うワタシは大人げ(略)。

追記:この『女王の教室』は新聞にも取り上げられるくらい賛否両論なんですけど、いろいろ記事を読んだりブログ巡りをして思ったことは、ひとつの台詞や行動でも人それぞれの見方があるんだなぁ…ってこと(当たり前なんだけど)。
ワタシは最初から阿久津先生=悪ではなく、徹底的に悪のフリをしながら子供たちを鍛えている…という希望的観測で見ている視聴者だから、阿久津先生がどんなに酷いことを言っても、裏にはちゃんとした真意があると思っているし、このドラマ自体も、社会の厳しさや残酷さというものを6年3組に置き換えて見せて「あなたならどう感じますか?」と視聴者にも問題を定義しているんだな…と思ってる。もちろん間違った解釈なのかもしれませんけど。
逆に第1話目から阿久津先生に違和感を感じたり毛嫌いしてしまうと、以降の行動の全てが悪意に満ちたモノとしか感じられなくなることもあるんですよね。
例えば阿久津先生の言動で、和美が怪我をしているのにもかかわらず硝子の片付けを指示したことに対して「怪我をしているのに残酷だ」「阿久津先生、酷すぎる」と思うか、それとも、怪我をした和美をダシにして(言い方は悪いけど)クラスの子たちを試しているのね、と捉えるか、それだけでも印象が全然違ってくるわけですよね。
うーん、こう考えるとドラマを作るって凄く難しいんだなぁと思いました(いまさら)。だって視聴者によって全然捉え方が違ったり、制作側の意図を完璧に誤解されたりすることもあるわけですから。そうなると視聴率とかに反映されて、いきなり方針転換したり打ち切りになったり(泣)。だから局側も最初から安全策をとって「誰が見てもわかりやすいドラマ」に流れちゃうのも無理ないことかもしれませんね…。
このドラマ、最後に阿久津先生の真意がわかるのか、それともわからないまま6年3組が団結して終わるのか、非常に興味深く楽しみなことには変わりありません(いきなり最終回で阿久津先生の口から「私の真意はね…」と説明させることだけはやめて欲しいですが)。
でも、もっと根本的なことを言えば、最後には制作側の真意も視聴者に正しく伝わるのか、それとも誤解されたまま終わっちゃうのか、はたまた視聴者全員が「はぁ?」と言う終わり方なのか…っていう問題もあったりして、こんなにワクワクさせてくれるドラマも最近じゃ珍しいですよね(笑)。